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岩村城の歴史と主な城主 |
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文治元年源頼朝は義経捜索の為に、諸国に守護地頭を置きました。源頼朝の重臣加藤景廉(かげかど)が遠山の庄地頭に補せられたのはちょうどこの時です。景廉は、頼朝の側近として最後まで奉仕し、岩村には住まなかったと言われ、岩村城の創築は、景廉がその基礎を作り、実際に城を築いて住んだのは、その子景朝(かげとも)とされています。その証は景朝が初めて遠山氏を称したことによってわかります。
戦国時代には、東は甲信の武田信玄、西は濃尾の織田信長、南を三遠の徳川家康といずれも天下を取ろうと野望に燃える英雄達に囲まれ、地理的に岩村城はその中間の前戦地、力と力の接触点にあたり、女城主の逸話などが今にその歴史を伝えています。 岩村城は文治元年(1185)から慶応四年(1868)まで、683年間にわたって連綿と続き、中世から近世に及ぶ武門政治の行われた全期にわたって、城が厳存したことは、日本の城史にも例をみないものです。 |
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■本丸 ■昇竜の井戸 ■本丸表門 ■本丸裏門 ■帯曲輪 ■出丸 ■六段壁 ■八幡曲輪 ■霧ヶ井戸 ■大手門・三重櫓・畳橋 ■土岐門 ■一の門 ■石畳 |
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