| 天正疎水(約400年前のまちづくり) | |
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織田・豊臣時代前の城下町は城の北方にありましたが、武田と遠山・織田による数々の戦乱により、そのほとんどが損壊してしまいました。
1575(天正3年)織田信忠は当時、武田の臣、秋山信友の在城した岩村城を攻略して、翌年、織田家譜代の臣、河尻秀隆を城主としました。秀隆は1582(天正10年)まで在城し、その間、城下町を城の西方へ移すべく、まず岩村川左岸の町人街を東から西へ通ずる道路(現在の本町通り)を中心に、左右にそれぞれ二本の用水を設置しました。そして、それぞれの間に家屋を連ねさせたのです。また右岸には武家屋敷を置き、川を渡ることなく登城の道を開きました。この城下町移転事業は、江戸時代に入り、松平氏入封後に至って完成しました。 この用水は天正疎水と名付けられ、現在も利用されています。 現在の本町通り(旧上町、中町、下町)に面する両側の屋並みの基礎はその時に造られたものです。上町には、主として職人が住み、大工、指物師、葺き屋、石屋、鍛冶屋、畳屋、蹄鉄師などが軒を連ね、また織物染物の仕事場もありました。中町、下町には商い屋が並んでいました。
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