| 城下町の旧家 |
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木村邸略譜
木村家は、藩の財政窮乏のとき御用金を才覚し、岩村藩駿河領の水害、同美濃領の麦の凶作など救済事業に尽力しました。
また代々の当主は、八ツ橋売茶翁や、佐藤一斎など多くの文化人と交流していました。
岩村藩主もしばしば当家を訪問しており、玄関、座敷、書院、庭等は、木村邸特有の文化と風流が今も生きています。
見学可能 入場料 大人200円 |
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土佐屋
河合家(土佐屋)は建保4年(1216)遠山庄で客死したと伝えられる鴨長明が同家に寓居したと伝わる旧家です。 4代伊左衛門(1736没≪元文元年≫)の時代には染物業を営んでいました。 明治時代に入って、12代房吉が金融業を興し、明治32年には濃明銀行岩村支店を、明治41年には岩村銀行を設置し、また、昭和6年には両銀行が合併した恵那銀行の設立にも貢献しました。
岩村電気鉄道株式会社専務取締役・町議会議員・郡議会議員・岩村町助役等を歴任し、町・郡の財政会で活躍した名家です。 見学可能 入場料 大人200円
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浅見家略譜
浅見家は、幕末三代にわたって大庄屋をつとめ、岩村藩の政治財政に尽力しました。
先祖は、松平家乗が慶長6年(1601)上州那和(群馬県伊勢崎市)から、岩村城主として転封したとき、御用達職として共に岩村へ来ました。
浅見家は、岩村藩が宝暦9年(1759)郡上騒動による、郡上八幡城請取の役を命ぜられたとき、軍用金調達や、領下の困窮者に籾米を施し、江戸藩邸の類焼のときには多額の金品を送るなど、木村家と共に岩村藩を支えました。
九代与一右衛門は、大井〜岩村間の難工事を克服し、明治39年に全国13番目の電車を開通させ、県議会議長、衆議院議員として大いに活躍した。
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山上家略譜
邑長であった当主は、山賊を平定するため、伊勢神宮に参篭し、加藤景廉と出逢う。景廉は山賊を討ち、村民に推されて領主となり、岩村城を築城したと伝えられています。
文豪島崎藤村の祖父・吉左衛門重韶は、山上家から島崎家へ養子し、俳号を松濤園至徳と称した文人でした。藤村の文才は、重韶の血をひいたものなのでしょう。
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勝川家略譜
勝川家の座敷に通じる縁は、岩村城の遺構の一部が使われており、荷駄の通用門をくぐると、その昔3千俵の米をおさめたといわれる、米蔵が扉をつらねています。
当時、岩村藩御用をうけ藩財政に大きく貢献し、藩の重役藩士の出入も多かったと言われています。
見学可能 入場無料 |