織田信長・森蘭丸にゆかりのある東美濃東南部の城下町
この地は東美濃の東南部にあり、信濃と三河を通ずる要路のため、戦国時代は武田、織田、徳川氏等の勢力の接点であった。
天下統一を目指した信長は、その足がかりに叔母を送り込んだが返って武田方となるや、嫡男信忠を総大将としてこの岩村城を攻め落とさせた。天正10年3月11日宿敵武田攻めに際して岩村城へ着陣した信長は、ここで武田勝頼自決の報を受けた。
彼は森蘭丸に岩村城を与え、その家老各務兵庫をして守らせ、さらに天下統一のために西征の途についた。まさに本能寺に没する3ヶ月前のことであり、岩村城は、信長が雄図実現の確信を得た忘れ得ぬ城となった。
江戸期になると、老中・大阪城代等の幕府要職を勤める藩主を度々出した。同時に岩村藩は文教藩として有名である。官学昌平坂学問所を創始した林述斎は、もともと岩村藩主の子であったが、幕府要職(文部・法務・外務担当)の家柄林家へ入った人物である。また、渡辺華山・佐久間象山・山田方谷などを育てた儒学者の佐藤一斎、実践女子学園創設者の下田歌子といった多くの著名人を輩出している。
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■A:岩村城跡 ■B:下田歌子勉学所 ■C:岩村町歴史資料館
■D:藩校 知新館 ■E:岩村城藩主邸太鼓櫓 ■F:木村家
■G:浅見家 ■H:勝川家 ■I:高札場 ■J:鉄砲鍛冶
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