琉球舞踊は御冠船踊り(うかんしんおどり)とも宮廷踊りとも呼ばれている「琉球古典舞踊」と、明治以降
にできた庶民芸能を基調にした「雑踊り(ぞうおどり)」に分けられる。琉球王府では、国王の代替わりごとに中国皇帝から即位認証のしるしとして王冠を授かっていたが、この 冊封船(御冠船)に乗ってはるばるやってくる数百人の冊封使一行をもてなすために、「踊り奉行」を置き、 士族の子弟を役者にして宮廷芸能を育てた。 |
これが古典舞踊であり、師匠となる登竜門である芸能祭の課題舞踊などに選定される。 一方、雑踊りは明治12年の廃藩置県後、芝居小屋で庶民生活のなかから生まれ出てきた踊りで、明るく 軽快なリズムをもつ。 このほか「組踊り」と呼ばれる芸能がある。 |
江戸時代の初期に琉球王府の踊り奉行だった「玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)」(1684−1734年)
が、薩摩、京都、江戸などで能や歌舞伎を学び、自らの芸域を深め、
組踊りと呼ばれる沖縄の史実や伝説をテーマにした歌劇を創作した。王府はこれを国劇をして士族の師弟たちに演じさせ、手厚く保護した。 これが今日の古典芸能の中心になった組踊りで、国の重要無形文化財にも指定されている。 |