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あまご

プロフィール

鮎

 

名前

Angler Cut

Y.Hanada
生年月日 1965.Jun
住所 岐阜県恵那市
趣味 釣り、ギター、競馬、カメラなど
初釣り 保育園児の頃
初鮎釣り 小学校4年生の頃
主な釣行 鮎、渓流、フライ、ルアーなど

のめり込みやすい性格ですので趣味は多く、その中でも釣りが一番の趣味です。 こんな性格ですの

で、あえてスキー、ゴルフは一度もやろうとしません。

道具にも凝る方ですので、これ以上趣味を増やすとお金が足りなくなるからです。

以前はボーリングにはまり、毎週通った事もありました。

 

鮎釣りのスタイルは自己流、気ままな「お散歩釣り」です。 

私は以前「マック」という猫の相棒がいました。家の中で飼っていたので、朝は庭先に紐でつなぎ、夜

は犬の様に紐で散歩に行ってました。 猫の散歩は犬の様にはいきません、おおよそ散歩のコース

は決まっていましたが、実に気まぐれで好きな様に散歩をさせないと怒るのです。

同じ所を往復したり、一定の場所からしばらく動かなかったり・・・。

周りにはたくさんの野良猫もいます。 時々野良猫に出くわすと喧嘩する事もありました。 私はあえ

て止める事無く、時には棒を持って一緒に戦う事もありました。 喧嘩もさせないで連れて帰るという

事は自分の猫に戦う前から逃げて負けを宣告させる様な、又、猫の世界を理解しない行為になる様

な気がしたからです。 

しかし喧嘩までいくのはごくまれで、やはりそばに私がいますから野良猫も警戒します。猫にもおそらくテリトリーがあり、猫にしか解らない世界があると思います。

話を戻して鮎釣り、水の中の世界、鮎の世界も鮎にしか解らない世界があるのではと、猫の散歩とを

どこかつなげて考えてます。 おそらく野鮎もより自然に近い状態で泳ぐ囮と、人にひきずられている

囮では反応が大きく違うと思うからです。

トラウトを釣るにもゼロ釣法とかナチュラルドリフトとか言いますが、ようはより自然に餌を流すという事

、人の意思で餌をあやつるのであれば、むしろ極端な話しルアーで釣れば良いわけです。 鮎釣りも

囮を引きずりまわすのであれば、市販の鮎ルアーを使用すれば良いのです。 もちろん人の意思で

魚を誘って釣る、これはその人の腕にかかわるわけで、ルアーフィッシング等があるわけです。

鮎釣りにおいては、その時々の対応もありますが、大半は囮にまかせる事の多い釣りと考えます。

従っていかに囮に任せられるか、人は囮がより自然に泳げる仕掛、竿さばきが必要と考えます。

おおよその散歩コースを人の意志で散歩させるのではなく、猫、鮎の意思で散歩させる。 あくまでも

人はサポートするだけ、(脱線したりしない様) そんな鮎釣りが私の基本スタイルです。

 

人によっては鮎だけ、渓流だけなどといますが、攻めの釣りを中心に川釣りでのマルチアングラー

ありたいと思ってます。

 

My Fishing Life Story

序章・・・私は3歳の夏、近所の友達と3人で砂遊びをしに、すぐ近くの川原へ行きました。

当時、川は前日の雨で増水していました。

砂遊びに夢中になっていた私は、増水の川にのまれ流されたのです。

たまたま心配になり、川原へ様子を見に来た母親が、我が息子の姿がないのに気が付き、一緒

に出かけたサッチャンに問いかけると「どんぶらこいっちゃったよ」、対岸からおじさんが、

「あそこだ!」と大きな声で指差す。

無我夢中で母親は増水した川へ飛び込んだのです。

胸までもある水をかきわけ、幸いにも大石にひっかかっている私を助け出したのです。

大石にひっかかっていなかったら・・・

さらに幸いだったのが、川にのまれた瞬間に私は気絶したらしく、大量の水を飲まなくて

すんだのです。

私は助け出され、川原で母親に抱かれている時、意識が一瞬戻った瞬間を今でもはっきりと

覚えています。

何重もの幸いにより、今の私の命があります。

・・・こんな私が川を恐れず、釣り狂いになろうとは、想像もしなかったでしょう・・・。

 

 

家のすぐ近くに川がある、という環境もあり、初めて釣りをしたのは5歳の頃。

5月だったと思います。

地元で行われたマス釣り大会。

私に素晴らしい釣りの世界へ招いてくれた親父。

親父と親戚のおじさんとで家の裏のポイントへ入りました。

6時スタートの号砲を待ちきれない幼い私は、「まだ〜まだ〜」と親父の足をゆすりながら、

ふと、足元を見ると1匹のニジマスがゆうゆうと泳いでいるのに気が付きました。

6時、スタートの花火が上がると、すかさず目の前のニジマスを狙いました。

何度か流すうちに、ようやく食わせたのです。

初めての魚のひきと、感動をかみしめながら取り込みました。

しかし、な、な、なんとそのニジマスは片目がなかったのです。

以来、釣りの自慢話しをすると「目はついてたか?」とひやかされたのは言うまでもない。

すっかり釣り少年になった私は、お古の竿に餌のソーセージを持って下流にある堰堤下へと

くそばよ(正式名:あぶらはや)を釣りに行ってました。

時々、おいかわが釣れると大喜びしたものです。

小学生にもなると、増水後のささ濁りを見計らい、近所の牛小屋でミミズを掘り、早起きして

学校へ行く前にあまご釣りに行ったものです。

尺以上を数匹釣った事もありました。

竿は親父に竹やぶで切ってもらった竹、糸は10円の糸、こんなタックルでも釣れたのです。

 

 

鮎釣りに親父が連れて行ってくれたのは小学校4年生の頃。

5m位の竹竿を譲り受け、解禁前夜は興奮のあまり眠れなかったのを覚えています。

昔は釣れた、と最近よく聞きますが、確かに少年の私でも解禁には30匹位釣ってました。

型は少々小ぶりの為、当時から引き抜きは当たり前でした。

鮎釣りにもはまった私は、夏休みは毎日竿を持って泳ぎに行ってました。

 

 

小学校5年生の時、衝撃的な出会いがありました。

自転車をこいで、橋から川を見下ろすと、華麗なスタイルで華麗にニジマスを釣る1人の

おじさんがいました。

奥手の私ですが、この時は吸い込まれるようにおじさんに近ずきました。

以来、とても可愛がっていただき、私の釣りの世界を広げていただきました。

鮎、渓流はもちろん、フライ、ルアーでのトラウト、ブラックバス。

そして様々なフィールドへ連れて行ってくれました。

まるで自分の周りに全ての魚を寄せてしまうような・・・自分もいつかは・・・。

とても影響を受けました。

おじさんの使ってるスピニングリールが欲しくて、中学校1年生の時、お年玉を貯めて買った

ABU社のカーディナル33、今でも大切に使ってます。

 

時は過ぎ、社会人になった私は、自動車の免許証を手に入れ、遊びたい盛りです。休みといえ

ば、彼女とどこかへ出かけるか、パチンコに狂っているかの日々、大好きだった釣りも解禁日

に行くくらいで、ほとんど行かなくなりました。 しかし、ある程度落ち着いた頃、結局釣り

に戻るのでありました。 しかし、その頃の私は、せいぜい地元の川で竿出しする日々。

そんな時に出会ったのが、現在のREGULAR CROWDの人達です。中でも、通称「兄さん」

には、たくさんのフィールド、ポイントを教えていただき、地元の川しか知らない、言わば

井の中の蛙だった私の世界を広げてくれました。様々なフィールドを攻める事により、川それ

ぞれの違い知り、その経験の蓄積から応用が利くようになった今の私があるのは、多くの

河川、ポイントを教えてくれた兄さんのおかげです。

 

命をつないでくれた母親と、釣りの世界へ導いてくれた親父、釣りの幅広さを教えてくれた

鉄さんと、たくさんのフィールドを教えてくれた兄さんのおかげで、今日の私があります。

River Land Forever・・・

 

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